Muddy Tomoのひとりごと

焼き物のこと生活のことなど、つれづれなるままに、そこはかとなくかきつくれば・・・。

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自己紹介続き  

さて、自己紹介を続けたいと思います。

有田窯業大学校で、ろくろを1年、絵付けを1年。
 短期研修お勧めです。
 私が通ってた時は、授業料1ヶ月4700円だったような・・・。
 窯も何回も焼いてもらえるし。
 先生は週に2日でしたが、一流の方。

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そして、その後有田の窯元で就職。
と思いきや、デキ婚です。
しかし、そのまま雇っていただいて結局2人産みました。
五年間働きました。
ちょうど上絵具を有鉛絵具から無鉛絵具に変えなければいけない時で、
少しは会社に貢献できたかしらん。
毎日毎日、商品の絵付けもこなしながら、絵具の試験。やってもやってもうまくいかない。
いつも、次の日の窯上りが心配で眠れない日が一年ほど続きました。
それでも、続けていると少しづつうまくいき、結局二年半ほどかけて有鉛絵具から無鉛絵具に変えることができました。


子育てと、仕事と。
いろいろ助けていただきました。
いろいろ学びました。
少しは、根性ついたかも。

以上


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muddy  

真泥

muddy water

私の相方も焼き物をしています。
彼は佐賀県有田町で焼き物を作っていたとき、屋号というのでしょうか、
窯名というのでしょうか、考えました。
 
までい 
真泥
muddy

英語の muddy の音と までい の音が似ていて、意味も似ている。
彼が考えに考えた名前です。

舞鶴に引っ越してきてしばらくしてある日、私の白雲窯の父親が言いました。
「”muddy”って悪い意味もあるんとちゃうんか。」

muddy
1 泥の、ぬかるみの、泥だらけの
2 〈光・音・液体などが〉濁った
3 〈顔色・頭などが〉さえない;[けなして]〈考えなどが〉あいまいな
(「ジーニアス英和辞典」より)

彼はどうやら辞書は調べなかったらしいです。

私は、自分の屋号はどうしようか悩んでます。全然いいのが浮かんでこないのです。
今はとりあえず、muddyに便乗させてもらっています。
私は実際にmuddyが英語圏でどんなニュアンスで使われているかわからないのですが
3〈考えなどが〉あいまいな は、まさしく私にぴったり。
混沌としてます。

私は、muddyに他の意味があったことでかえってその言葉に魅かれてしまいました。
そんなわけでブログ名を「muddy tomoのひとりごと」にしたのです。

なお屋号は
真に泥の muddy でよろしくお願いします。
muddyロゴ




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自己紹介  

私は、舞鶴市のとなりの綾部市の白雲窯で育ちました。
私の両親はまだ田舎暮らしがはやるより前、26年前に京都市内から綾部市へ引っ越してきました。
私が4歳の時です。

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白雲窯の薪の窯

私は陶芸にまったく興味を持っていませんでした。小学生になってからは粘土をさわったこともありません。
私はなんとなく進学し、高校を卒業した後名古屋の大学に行きました。経済学部です。しかしちょっと寄り道がしたくなって、2回生の後休学をしふらふらしました。インドに行ったり西表の民宿で働いたり。
そしてその後、熊本の大学に編入しました。が、半年で通えなくなり、大学を辞めてしまいました。今から思うと青春時代にはつきものの生きることに対する悩みが噴出してしまったのだと思います。

さて、私はほぼ意図的に自分をゼロのままこの世に送り出したのです。朝は起きるべきなのかさえ悩みながら。
まず惣菜屋で働きました。幸運にもそこは面白い人たち、世の中に適応しようと思ってもいなさそうな人たちが自分たちのやり方で惣菜屋を営もうとしていたのです。立ち上げのときでした。毎日ドラマチックでケンカあり、笑いありでした。

そして一年後、私は陶芸をすることを決めて、佐賀県有田町にある焼き物の学校に入ったのです。
なぜ陶芸を選んだか?
私は外国に行くのが大好きでした。自分と違う文化を見るのが大好きでした。そしてふと自分の国、日本をみると焼き物に対する文化が豊かだと思いました。
私は西表の畑仕事で肉体労働のすがすがしさを知りました。焼き物の仕事は体を動かす仕事です。
私はあせっていました。早く自分の道を決めなければならないと。焼き物の仕事は親がしていたのでよく知っている仕事です。できそうな、好きそうな仕事だと思いました。
私が育った家ではほとんどが白雲窯の器でした。その中で、いくつかあった昔の染付の磁器の器。暗い中に白と青が浮かび上がる。その映像が今でも目に浮かびます。磁器がしたいと思いました。
私は親の薪の窯がいい窯だと思っていました。なぜだか、その窯で磁器が焼きたいと思いました。
私はそこまで決めて有田へ行きました。

有田でろくろを一年、絵付けを1年。

さて、続きはまた次に。

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thread: **暮らしを楽しむ** - janre: ライフ

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